明治8年 山村、名古熊村、一色村の3村が合併して鼎村が誕生しました。
3村は、鼎の足のように均等融合し、自治の振興、産業発展、福祉の増進を祈願し命名されました。
- 明治8年1月 山村・一色村、名古熊村が合併し、鼎村となる。
- 明治14年8月 鼎村(山村)、稲井村(一色、名古熊)に分村
- 明治22年4月 鼎村、稲井村が合併し、再度鼎村となる。
- 昭和29年4月 町制施行により鼎町となる。
- 昭和59年12月 飯田市へ合併
・面積は6.2㎢、旧市内を除き、市内では最も小さな地区で、人口約13000人、5300世帯強と、市内でも有数の人口密集地帯。 ・養蚕が盛んだった当地は、高度経済成長時代以降、果樹が盛んとなり、その後、農地の宅地化や、商工業地化が徐々に進行し、平成6年に飯田バイパス(通称アップルロード)が開通してからは、周囲の景観が一変するほど開発が進行しました。かつては果樹園地帯であった場所に大型店の出店が相次ぎ、アパートや住宅の建設も急激に進みました。 ・地区の産業としては、果樹園を主体とした農業、水引工芸、菓子、醸造などに加え、精密、電機、光学など多岐にわたります。