NO.5
切石少年野球クラブ 監督 佐々木稔さん 選手 折金真嘉さん、鼎ブルーキングス 監督 伊藤嘉夫さん 選手 牧野瑛大さん
切石少年野球クラブ・鼎ブルーキングス
「地域への愛着の醸成」、、、。
「地域への愛着」ってどこから生まれるのでしょうか。大人になったときに「子どもの頃○○の行事が楽しかった」、「○○な活動をみんなでしたなあ」など、人によって異なると思います。
その中で、「少年スポーツクラブ」という存在は、大きな意味を持つのではないでしょうか。
地域にはさまざまなスポーツクラブがあり、鼎も同様に盛んであります。その中で鼎の少年野球の活動は、他の地域やスポーツには珍しく?2つのチームが存在しています。それが「切石少年野球クラブ」と「鼎ブルーキングス」です。
今回は同じ地域で切磋琢磨している両チームが練習試合を組んでくれたので、両チームの監督と選手にそれぞれ取材をさせていただきました。
「地域への愛着」ってどこから生まれるのでしょうか。大人になったときに「子どもの頃○○の行事が楽しかった」、「○○な活動をみんなでしたなあ」など、人によって異なると思います。
その中で、「少年スポーツクラブ」という存在は、大きな意味を持つのではないでしょうか。
地域にはさまざまなスポーツクラブがあり、鼎も同様に盛んであります。その中で鼎の少年野球の活動は、他の地域やスポーツには珍しく?2つのチームが存在しています。それが「切石少年野球クラブ」と「鼎ブルーキングス」です。
今回は同じ地域で切磋琢磨している両チームが練習試合を組んでくれたので、両チームの監督と選手にそれぞれ取材をさせていただきました。
指導者になったきっかけは?
自分の子どもがこのチームに入ったのがきっかけです。また元々野球をやっていました。
指導を通じて子どもたちに伝えたいことは?
野球の上達はもちろんですが、挨拶やチームプレー、思いやりなど、「ひと」として成長してほしいです。野球だけでなく、社会に出ても通じる大人になってほしいです。
夢はありますか?
子どもたちが野球をずっと楽しんでもらえるとうれしいです。中学や高校になっても続けてほしいですし、大人になっても楽しんでほしいと思います。
野球を始めたきっかけは?
お父さんがやっていたからです。
練習は辛くないですか?
苦しい時もあるけど、楽しいです。走るのが辛いです。でも、野球が上手くなっている実感を持てた時が嬉しいです。
ライバルはいますか?
んーわかりません。みんな。
ブルキンに対して思うことは
勝ったり負けたりする。負けたくない。
将来の夢はありますか?
チームは決めてないですけど、プロ野球選手になりたいです。
指導者になったきっかけ
自分の息子がこのチームに入ったのがきっかけです。今は高1と小6になっています。自分も元々野球をやっておりました。
指導を通じて子どもたちに伝えたいこと
少年のうちは野球を元気に楽しくやってもらいたいですね。また挨拶や礼儀など社会に出た際に基本的なことだけど大切なことを、この場で学んでほしいと思います。そして大人になったら、是非このチームのコーチになってほしいです。
夢はありますか
甲子園で活躍してほしいですね。できればプロ選手も目指してほしいです。その過程で色々学ぶと思います。仲間も増えるし。スポーツを通じて、人間力のある子どもたちに育ってほしいです。この場が「思い出の場」になってくれるといいですね。
野球を始めたきっかけは?
お兄ちゃんがやっていたから。自分も上手くなりたい。
練習は辛くないですか?
たまに疲れるけど楽しいです。
ライバルはいますか?
ピッチャーをやっていて、同じ6年生のいとうるき君。
切石に対して思うこと
勝つときもあるし、負ける時もある。負けたくないです。
将来の夢はありますか?
プロ野球選手になりたいです。
両チームとも歴史は古く、40年近くになるそうです。最初に「切石少年野球クラブ」ができて、その後「鼎ブルーキングス」ができたとか。両監督とも、「今は違うチームで対戦相手だけど、中学になると一緒のチームになります。その時はチームメイトとして頑張ってほしいです。」と話していました。
取材した練習試合の日には多くの保護者の方々がいらっしゃいました。監督、コーチを中心に「子どもを地域で育てている」そんな印象の強い風景が鼎小学校のグラウンドに広がっており、この風景が子どもにとって「鼎への愛着」につながっていくと感じました。
NO.4
鼎消防団 分団長
岡本 誠さん
今回は飯田OIDE長姫高校3年で今年鼎地区で地域人教育に取り組んでいる3人(左から堀田さん、宮崎さん、岩崎さん)がインタビューを行いました!
自己紹介をお願いします。
岡本誠です。出身は一色地区です。飯田市役所下水道課に勤務し、下水道のインフラ整備に携わっています。
消防団に入ったきっかけや分団長としての意気込みを教えてください。
先輩団員からの勧誘がきっかけで入団しました。途中行かなくなってしまった時期もありましたが、職場の先輩の勧めでまた行くようになりました。
分団長となり、これまで先輩たちが築いてくれた伝統を受け継いでいきたいと思います。
分団長となり、これまで先輩たちが築いてくれた伝統を受け継いでいきたいと思います。
現在の消防団の活動について
春と秋の非常召集訓練のほか、操法技術訓練や予防救護訓練などを行っています。火災が発生したときは訓練の成果を活かし、鎮火したときは誇らしく思います。
また、今年は鼎の消防団100周年の年でもあります。記念動画の撮影も行っており、鼎の消防について知ってもらうきっかけになればと思います。
また、今年は鼎の消防団100周年の年でもあります。記念動画の撮影も行っており、鼎の消防について知ってもらうきっかけになればと思います。
最後に、鼎地区の魅力について教えてください
職業柄感じることですが、鼎地区は妙琴浄水場など水道設備のほか、様々なインフラが整備されていて、災害に強い地域であると思います。
一方で、地域を守る消防団の人数が少なくなっているので、是非鼎の多くの仲間と一緒に活動できればと思います。
一方で、地域を守る消防団の人数が少なくなっているので、是非鼎の多くの仲間と一緒に活動できればと思います。
NO.3
フルーツブラウニー専門店
宮澤祐貴さん・優菜さん
自己紹介をお願いします。
宮澤祐貴です。上山在住34歳。優菜です。東京都生まれの26歳です。
令和3年の7月から上山でチョコブラウニーの専門店【belieble(ビリーブル)】を夫婦で始めました。
令和3年の7月から上山でチョコブラウニーの専門店【belieble(ビリーブル)】を夫婦で始めました。
お二人の生い立ちを教えてください。
祐貴さん:地元の高校を卒業して東京のアパレル店に就職。その後、カナダ、オーストラリアの農園やカフェでのワーキングホリデーをきっかけに飲食に興味を持つようになりました。
優菜さん:18歳の頃から「将来は自分のお店を持ちたい」と資格の取れる学校へ通い、その後都内の飲食店でパティシエとして働きました。とにかく、チョコレートが大好きなので。笑
優菜さん:18歳の頃から「将来は自分のお店を持ちたい」と資格の取れる学校へ通い、その後都内の飲食店でパティシエとして働きました。とにかく、チョコレートが大好きなので。笑
なぜ鼎で専門店を開業したのですか?
同じ店舗で働くようになりお互いの夢や気持ちが重なって、飯田で南信州のフルーツを使ったデザートが作れれば良いなと思いました。
「飯田はもの凄く田舎だと聞かされていたけど、実際に来てみるとそうでもなかった。笑」(優菜さん)。コロナで実店舗をもつ不安があったけれど、オンラインショップならやっていけるかも、と決心しました。
「飯田はもの凄く田舎だと聞かされていたけど、実際に来てみるとそうでもなかった。笑」(優菜さん)。コロナで実店舗をもつ不安があったけれど、オンラインショップならやっていけるかも、と決心しました。
実際に鼎に移住(Uターン、Iターン)してみて、どうでしたか?
祐貴さん:若い頃は都会に憧れて飯田を離れました。都会には都会の良さがあるけれど、飯田に帰ってくると改めて田舎の素晴らしさに気づく事ができました。人が優しいというか、みんなが親切にしてくれます。お客さんも気さくに世間話をしてくれて。そんなの東京ではありえません。笑
優菜さん:東京から来た新参者の私たちに誰もが親切にしてくれます。最初は警戒されるのかなぁと不安だったけど、全然そんな事はありませんでした。むしろ、輪の中に入れてくれました。すごい迎え入れてくれる。同業者の人たちだって一緒にイベントをやろうって声をかけてくれました。ビックリです。
優菜さん:東京から来た新参者の私たちに誰もが親切にしてくれます。最初は警戒されるのかなぁと不安だったけど、全然そんな事はありませんでした。むしろ、輪の中に入れてくれました。すごい迎え入れてくれる。同業者の人たちだって一緒にイベントをやろうって声をかけてくれました。ビックリです。
最後に、宮澤さん夫妻が思う鼎の魅力を聞かせてください。
どう表現して良いか分からないですが”みんなが団結している”印象です。それはお客さんからも感じるし、両親や知人、いろんな人から感じます。そして、とにかく皆んなが優しいです。
だから今はブラウニーを通して、色んな人に飯田のフルーツや文化を知ってもらいたいと思うようになりました。飯田に帰ってきてお店を出せて良かったです。
だから今はブラウニーを通して、色んな人に飯田のフルーツや文化を知ってもらいたいと思うようになりました。飯田に帰ってきてお店を出せて良かったです。
No.2
カーネーション農家
関島 和幸さん
自己紹介をお願いします
関島和幸です。名古熊在住 43 歳です。 家業を継いでカーネーション栽培農家を営んでいます。
5 歳・3 歳の息子と妻、それから両親と 6 人で暮らしています。
5 歳・3 歳の息子と妻、それから両親と 6 人で暮らしています。
カーネーション栽培の苦労と魅力は?
苦労ばっかりで一言では言い切れませんよ(汗) でも、世の中に必要としてくれている人がいるから。その人たちの喜ぶ顔を思い浮かべながら、大切に育てて、本当に良いものができた時の達成感は何ものにも代えがたいと思っ ています。
地域の中で携わっていることはありますか?
先日も「職業講話」として、中学生に対し地元で働く魅力についてお話してきました。中学生が退屈してしまわないかと心配でしたが、思いのほか質問が上がってきたりもして、中学生でも地元のことを真剣に考えてくれているのだなと、嬉しく思いましたね。
最後に、関島さんの思う鼎の魅力を聞かせてください。
買い物や交通といった利便性の高さと、自然の豊かさの絶妙なバランスですかね。農作物も育てやすくて、食べ物美味しいです。子供からお年寄りまで、本当に暮らしやすい街だと思います。
No.1
アスパラ農家
奥村 仁司さん
自己紹介をお願いします
奥村仁司です。名古熊在住 67歳、鼎生まれの鼎育ちです。
62 歳で会社を定年後、夫婦 2人でまあまあ仲良く野菜栽培をしています。
62 歳で会社を定年後、夫婦 2人でまあまあ仲良く野菜栽培をしています。
どんな野菜を作っているのですか?
メインはアスパラで、他にねぎや青パパイヤを栽培しています。 自然相手なので色々と苦労もあるけど、会社勤めと違ってマイペースに仕事ができるのが 良いですね。妻からもよく「毎日生き生きしているよね」と言われます。
地域の中で携わっていることはありますか?
幾つもあるんだよなぁ(笑)
まあ主なところでは現在、公民館名古熊分館長を務めています。 コロナ禍にあってなかなか大変ですよ。
あと昔の話ですが 、約 30年前に消防団の第 15分団長も務めました。
まあ主なところでは現在、公民館名古熊分館長を務めています。 コロナ禍にあってなかなか大変ですよ。
あと昔の話ですが 、約 30年前に消防団の第 15分団長も務めました。
最後に 、 奥村さん の 思う 鼎の魅力 を 聞かせて ください 。
例えば獅子舞など、各地区それぞれに文化が継承されているところ。また公民館活動なども活発で、そうしたことが、 地域のまとまりや絆を生んでいるのだろうと思います。
これからも、子供たちのにぎやかな声が聞こえてくる街。そして、人と人とが思いやりを持ってお互いが助け合う。「鼎」はいつまでもそんな街であってほしいと思います。
これからも、子供たちのにぎやかな声が聞こえてくる街。そして、人と人とが思いやりを持ってお互いが助け合う。「鼎」はいつまでもそんな街であってほしいと思います。